ようこそ!

皆さんこんにちは! 「俳句で覚える歴史年表」へ、ようこそいらっしゃいました!
ここでは、覚えにくい歴史年表を「ゴロ合わせ俳句」で楽しく覚える方法をご紹介します。
ゴロ合わせ俳句というのは、暗記句を五文字または七文字で作り、日本人になじみ深い俳句に組み込んだものです。
つまり、俳句形式のゴロ合わせです。
このようにすることで、よくある通常のゴロ合わせよりも、覚えやすく忘れにくいという効果が期待できます。
中学校で学ぶ年表のほか、社会人の教養のためのオリジナル年表も公開しています。
最重要年表は、暗記を助けるほのぼの系の2コマ漫画つきです(現在、鋭意製作中!)。
さあ、このサイトで、五・七・五のリズムに乗って、日本史年表も世界史年表も、スイスイ覚えてしまいましょう!
 
 

2019年11月28日

東大寺の大仏完成−今日のゴロ合わせ俳句年表

752年、奈良の東大寺の大仏が完成する。

【暗記用俳句】 ♪東大寺 なごみに(752)行こう 大仏殿

大仏の鋳造(ちゅうぞう)が始まったのは747年(天平19年)で、この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと考えられている。また、東大寺建設のための役所である「造東大寺司」が史料に見えるのは、748年(天平20年)が最初である。

聖武天皇(しょうむてんのう)が大仏造立の詔(みことのり)を発したのは、それより前の743年(天平15年)のことで、当時、都は恭仁京(現・京都府木津川市)に移されていたが、天皇は恭仁京の北東に位置する紫香楽宮(現・滋賀県甲賀市信楽町)におり、大仏造立もここで始められた。聖武天皇は短期間に遷都(せんと)を繰り返したが、2年後の745年(天平17年)に都が平城京(へいじょうきょう)に戻ると共に、大仏造立も現在の東大寺の地で改めて行なわれることとなった。

752年(天平勝宝4年)、難工事の末、大仏の鋳造(ちゅうぞう)が終了し、インド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな、ボーディセーナ)を導師として大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)が行なわれた。そしてその後、大仏殿の建設工事が始められ、758年(天平宝字2年)に竣工(しゅんこう)した。

posted by Super源さん at 19:38 | Comment(0) | 日本史年表

2019年11月27日

日米和親条約−今日のゴロ合わせ俳句年表

1854年、日米和親条約が結ばれる。下田(静岡県)、函館(北海道)の2港を開く。

【暗記用俳句】 ♪一夜越し(1854) ワシの条約 締結だ

日米和親条約 2コマ漫画

日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)は、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に、江戸幕府とアメリカ合衆国が締結した条約である。神奈川条約とも呼ぶ。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権は東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーである。この条約によって、日本は下田と箱館(現在の函館)を開港し、鎖国体制は終焉(しゅうえん)を迎えた。

同年3月4日(2月6日)、幕府は武蔵国久良岐郡横浜村字駒形(現・横浜開港資料館所在地)に応接所を設置し、約1ヶ月にわたる協議を行なった末、同年3月31日(3月3日)に全12か条からなる日米和親条約を締結、調印した。

その後、伊豆国下田(現・静岡県下田市)の了仙寺へ交渉の場を移し、同年6月17日(5月22日)に和親条約の細則を定めた下田条約(全13か条)を締結した。

posted by Super源さん at 18:56 | Comment(0) | 日本史年表

2019年11月26日

天保の改革−今日のゴロ合わせ俳句年表

1841年、老中水野忠邦が天保の改革をはじめる。株仲間の解散、人返し令、上知令。

【暗記用俳句】 ♪天保の 改革初めは(18−) よい(41)テンポ
天保の改革 2コ漫画

天保の改革(てんぽうのかいかく)は、江戸時代の天保年間(1830年 - 1843年)に行なわれた改革で、享保の改革、寛政の改革に並び、江戸時代の三大改革の1つに数えられる。貨幣経済の発達に伴って逼迫(ひっぱく)した幕府財政の再興を目的とした。また、この時期には諸藩でも藩政改革(はんせいかいかく)が行なわれた。

天保年間には、全国的な凶作による米価・物価高騰や天保の大飢饉、百姓一揆や都市への下層民流入による打ち壊しが起こっており、天保7年(1836年)には甲斐国における天保騒動や三河加茂一揆、翌天保8年には大坂での大塩平八郎の乱などの国内事情に加え、阿片戦争やモリソン号事件など対外的事件も含め、幕政を揺るがす事件が発生していた。

天保12年(1841年)に大御所家斉が薨去し、水野忠邦は林・水野忠篤(みずのただあつ)・美濃部ら西丸派や大奥に対する粛清(しゅくせい)を行なって人材を刷新(さっしん)し、農本思想基本とした天保の改革が開始される。同年5月15日に将軍徳川家慶は享保・寛政の改革の趣意に基づく幕政改革の上意を伝え、水野は幕府各所に綱紀粛正(こうきしゅくせい)と奢侈禁止(しゃたきんし)を命じた。この改革は、江戸町奉行の遠山景元(とおやまかげもと)・矢部定謙(やべさだのり)を通じて江戸市中にも布告され、華美(かび)な祭礼や贅沢(ぜいたく)・奢侈はことごとく禁止された。

この改革が行なわれた頃は、既に幕府の権威が低下してきていたことに加えて、財政のみならず行政面などの問題点が多かったため、大奥の改革への妨害があり、結果的に改革が煩雑となってしまい、社会を混乱に導き、失敗と判断された。さらに、水野失脚後に株仲間が再興されたことで、幕府の権力が商業資本の前に自己の政策を貫徹(かんてつ)できなかったという、幕藩体制にとっては悪しき先例を残す結果となった。

posted by Super源さん at 18:37 | Comment(0) | 日本史年表