105年、蔡倫が紙を発明する。
【暗記用俳句】 ♪蔡倫(さいりん)が ひ孫(105)に伝わる 紙残す
1847年2月11日(0歳) | トーマス・アルバ・エジソンが、オハイオ州ミラーンに生まれる。 |
1855年(8歳) | わずか3か月で学校を退学(たいがく)。 |
1857年(10歳) | 自宅の地下に実験室(じっけんしつ)を作る。 |
1859年(12歳) | グランドトランク鉄道(てつどう)の新聞売り子となり、世界初の車内新聞(しゃないしんぶん)「ウィークリー・ヘラルド」創刊。 |
1862年(15歳) | マウントクレメンツ駅・駅長の息子を列車事故(れっしゃじこ)から救い、電信技術(でんしんぎじゅつ)を学ぶ。 |
1863年〜1868年 (16歳〜21歳) | 通信技師(つうしんぎし)となる。 |
1868年(21歳) | 電気投票記録機(でんきとうひょうきろくき)で最初の特許(とっきょ)を取る。 |
1869年(22歳) | ティッカー(株価表示機)の特許(とっきょ)を申請(しんせい)。 |
1870年(23歳) | ウエスタンユニオン社にティッカーの特許を4万ドルで売る。 |
1872年(25歳) | 自動電信機(じどうつうしんき)、二重交信(にじゅうこうしん)・四重交信(しじゅうこうしん)システム、電気ペン、複写機(ふくしゃき)の研究を開始。 |
1876年(29歳) | メンロパークに研究所を設立。 |
1877年(30歳) | 電話機完成。「ハロー」の挨拶(あいさつ)を発明。蓄音機(ちくおんき)を発明。 |
1878年(31歳) | 「エジソン電灯会社」を設立。 |
1879年10月21日(32歳) | 白熱電球(はくねつでんきゅう)の改良実験に成功。12月、メンロパークの工場で白熱電球(はくねつでんきゅう)を一般公開。 |
1880年(33歳) | 探検家(たんけんか)ムーアーを日本に派遣(はけん)。京都、八幡男山付近の竹がフィラメント素材として最適と判断。発電機(はつでんき)の制作。電気照明用のシステム発明。初の電気機関車実験(でんききかんしゃじっけん)に成功。 |
1881年(34歳) | 「エジソン電気照明会社」を設立。パリの電気展で「名誉賞(めいよしょう)」を受賞。 |
1882年(35歳) | 中央発電所スタート。 |
1884年(37歳) | エジソン効果(真空管(しんくうかん)発達の基礎)を発見。 |
1887年(40歳) | ニュージャージー州ウェスト・オレンジ研究所を設立。 |
1888年(41歳) | 改良型蓄音機(かいりょうがたちくんおき)の完成。エジソン系列会社が合併(がっぺい)し、「エジソン・ゼネラル・エレクトリック」を創設(そうせつ)。 |
1889年(42歳) | キネトスコープを発明。パリ博覧会(てんらんかい)へ出展(しゅってん)。 |
1890年(43歳) | 鉱山事業(こうざんじぎょう)に取り組む。 |
1892年(45歳) | X-線の研究。「エジソン・ゼネラル・エレクトリック」社と「トムソン・ハウストン」社合併(がっぺい)。「ゼネラル・エレクトリック(GE)」社となる。エジソンは辞任(じにん)。 |
1898年(51歳) | 鉱山経営の失敗。 |
1900年(53歳) | アルカリ蓄電池(ちくでんち)の研究開始。 |
1901年(54歳) | セメント事業を始める。 |
1908年(61歳) | 活動写真(かつどうしゃしん)特許会社(とっきょがいしゃ)の設立。 |
1909年(62歳) | アルカリ蓄電池(ちくでんち)の完成。 |
1914年(67歳) | 研究所(けんきゅうじょ)が火事になる。再出発宣言。 |
1922年(75歳) | 「ニューヨーク・タイムズ」紙の投票(とうひょう)で「最も偉大な生きているアメリカ人」に選ばれる。 |
1927年(80歳) | 人工ゴムの研究。 |
1929年(82歳) | 白熱電球(はくねつでんきゅう)発明50周年記念祝賀会(しゅくがかい)が世界各地で開催(かいさい)される。 |
1931年10月18日(84歳) | 死去。 |
「こちらの家で爺(じい)さんが亡くなられたと聞いてやってまいりました。どうか片身(かたみ)とも片股(かたまた)なりともお貸しくださいませんでしょうか?うちの爺さんもせいぜいあと2〜3日かと思われますので、その節にはすぐにお返しに上がりますので」
富士山三大噴火 |
1回目 延暦の大噴火 |
2回目 貞観の大噴火 |
3回目 宝永大噴火 |