1685年、「音楽の父」ヨハン・セバスティアン・バッハが、ドイツのアイゼナハに生まれる。
【暗記用俳句】 ♪音楽に 色はご(1685)法度 禁欲の父
※文字数がちょっと厳しいか!(ノ>_<)
バッハってどんな人?
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(J.S.バッハ)は、18世紀のドイツで活躍(かつやく)した作曲家・音楽家。
バッハは、オルガンやヴァイオリン、フルートなど、さまざまな楽器(がっき)の名手で、多くの音楽家に親しまれたことから「音楽の父」と呼ばれる。
バッハが生涯(しょうがい)に作曲した作品の数は1000曲以上で、その膨大(ぼうだい)さから、これらの曲に番号が振られているほどだ。
18歳の頃、バッハはヴァイマルの宮廷楽団(かんていがくだん)のバイオリニストとして就職(しゅうしょく)するが、代役(だいやく)としてオルガン演奏(えんそう)も担当(たんとう)するようになり、その後もオルガン奏者(そうしゃ)としてのキャリアを積み上げていくことになる。
バッハは、1706年にマリア・バルバラと結婚し、7名の子どもを授かる。
が、1720年に、マリアはバッハの出張中に急逝(きゅうせい)。
翌年、バッハはまだ幼い子どもたちのためのことを考え、16歳年下のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚(さいこん)。
彼女は、優れたソプラノ歌手で、同じ音楽家として、バッハの仕事を助けることになる。
1723年にバッハはライプツィヒの聖トーマス教会にて、カントルという仕事に就(つ)く。
オルガン演奏家と作曲家、合唱指揮者(がっしょうしきしゃ)、さらに小学校教諭(しょうがっこうきょうゆ)を兼任(けんにん)したような仕事で、激務(げきむ)だったと伝えられている。
1749年5月末、バッハは脳卒中(のうそっちゅう)で倒れる。
何とか一命(いちめい)を取り留(と)めるが、次いで眼科手術に失敗するなど、度重なる不運と体調不良で、病床(びょうしょう)に伏したまま1750年7月28日にこの世を去る。
バッハの代表曲は?
ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、その生涯において、多くの曲を作曲している。
その中で、代表曲を挙(あ)げろといわれれば、以下の曲たちになるだろう。
その中で、代表曲を挙(あ)げろといわれれば、以下の曲たちになるだろう。
1.G線上のアリア
2.管弦楽組曲(かんげんがくくみきょく)第3番 ガヴォット
2.管弦楽組曲(かんげんがくくみきょく)第3番 ガヴォット
3.無伴奏(むばんそう)チェロ組曲(くみきょく)
4.管弦楽組曲(かんげんがくくみきょく)第2番より『バディネリ』
5.シャコンヌ 「パルティータ第2番」より
6.バッハのシチリアーノ
7.アヴェ・マリア
8.小フーガト短調(トたんちょう) BWV(ビー‐ダブリュー‐ブイ)578
9.パストラーレ
10.マタイ受難曲(じゅなんきょく)
11.ヨハネ受難曲(じゅなんきょく)
4.管弦楽組曲(かんげんがくくみきょく)第2番より『バディネリ』
5.シャコンヌ 「パルティータ第2番」より
6.バッハのシチリアーノ
7.アヴェ・マリア
8.小フーガト短調(トたんちょう) BWV(ビー‐ダブリュー‐ブイ)578
9.パストラーレ
10.マタイ受難曲(じゅなんきょく)
11.ヨハネ受難曲(じゅなんきょく)
12.主よ人の望みの喜びよ
私の恩師がバッハ大好きだったので
ウケましたw
今度、バッハの生まれ年を言って
びっくりしてもらおうと思います♪
わーい。(^o^)この作品、みなみさんにうけたようで、うれしいです。(^−')
実は、「混浴の父」というのも考えたのですが、うまくいかず、断念しました。(爆)
はーい。是非恩師を驚かせてくださいね。(^^)v