2019年11月26日

天保の改革−今日のゴロ合わせ俳句年表

1841年、老中水野忠邦が天保の改革をはじめる。株仲間の解散、人返し令、上知令。

【暗記用俳句】 ♪天保の 改革初めは(18−) よい(41)テンポ
天保の改革 2コ漫画

天保の改革(てんぽうのかいかく)は、江戸時代の天保年間(1830年 - 1843年)に行なわれた改革で、享保の改革、寛政の改革に並び、江戸時代の三大改革の1つに数えられる。貨幣経済の発達に伴って逼迫(ひっぱく)した幕府財政の再興を目的とした。また、この時期には諸藩でも藩政改革(はんせいかいかく)が行なわれた。

天保年間には、全国的な凶作による米価・物価高騰や天保の大飢饉、百姓一揆や都市への下層民流入による打ち壊しが起こっており、天保7年(1836年)には甲斐国における天保騒動や三河加茂一揆、翌天保8年には大坂での大塩平八郎の乱などの国内事情に加え、阿片戦争やモリソン号事件など対外的事件も含め、幕政を揺るがす事件が発生していた。

天保12年(1841年)に大御所家斉が薨去し、水野忠邦は林・水野忠篤(みずのただあつ)・美濃部ら西丸派や大奥に対する粛清(しゅくせい)を行なって人材を刷新(さっしん)し、農本思想基本とした天保の改革が開始される。同年5月15日に将軍徳川家慶は享保・寛政の改革の趣意に基づく幕政改革の上意を伝え、水野は幕府各所に綱紀粛正(こうきしゅくせい)と奢侈禁止(しゃたきんし)を命じた。この改革は、江戸町奉行の遠山景元(とおやまかげもと)・矢部定謙(やべさだのり)を通じて江戸市中にも布告され、華美(かび)な祭礼や贅沢(ぜいたく)・奢侈はことごとく禁止された。

この改革が行なわれた頃は、既に幕府の権威が低下してきていたことに加えて、財政のみならず行政面などの問題点が多かったため、大奥の改革への妨害があり、結果的に改革が煩雑となってしまい、社会を混乱に導き、失敗と判断された。さらに、水野失脚後に株仲間が再興されたことで、幕府の権力が商業資本の前に自己の政策を貫徹(かんてつ)できなかったという、幕藩体制にとっては悪しき先例を残す結果となった。

posted by Super源さん at 18:37 | Comment(0) | 日本史年表
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