2019年11月28日

東大寺の大仏完成−今日のゴロ合わせ俳句年表

752年、奈良の東大寺の大仏が完成する。

【暗記用俳句】 ♪東大寺 なごみに(752)行こう 大仏殿

大仏の鋳造(ちゅうぞう)が始まったのは747年(天平19年)で、この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと考えられている。また、東大寺建設のための役所である「造東大寺司」が史料に見えるのは、748年(天平20年)が最初である。

聖武天皇(しょうむてんのう)が大仏造立の詔(みことのり)を発したのは、それより前の743年(天平15年)のことで、当時、都は恭仁京(現・京都府木津川市)に移されていたが、天皇は恭仁京の北東に位置する紫香楽宮(現・滋賀県甲賀市信楽町)におり、大仏造立もここで始められた。聖武天皇は短期間に遷都(せんと)を繰り返したが、2年後の745年(天平17年)に都が平城京(へいじょうきょう)に戻ると共に、大仏造立も現在の東大寺の地で改めて行なわれることとなった。

752年(天平勝宝4年)、難工事の末、大仏の鋳造(ちゅうぞう)が終了し、インド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな、ボーディセーナ)を導師として大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)が行なわれた。そしてその後、大仏殿の建設工事が始められ、758年(天平宝字2年)に竣工(しゅんこう)した。



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2019年11月27日

日米和親条約−今日のゴロ合わせ俳句年表

1854年、日米和親条約が結ばれる。下田(静岡県)、函館(北海道)の2港を開く。

【暗記用俳句】 ♪一夜越し(1854) ワシの条約 締結だ

日米和親条約 2コマ漫画

日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)は、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に、江戸幕府とアメリカ合衆国が締結した条約である。神奈川条約とも呼ぶ。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権は東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーである。この条約によって、日本は下田と箱館(現在の函館)を開港し、鎖国体制は終焉(しゅうえん)を迎えた。

同年3月4日(2月6日)、幕府は武蔵国久良岐郡横浜村字駒形(現・横浜開港資料館所在地)に応接所を設置し、約1ヶ月にわたる協議を行なった末、同年3月31日(3月3日)に全12か条からなる日米和親条約を締結、調印した。

その後、伊豆国下田(現・静岡県下田市)の了仙寺へ交渉の場を移し、同年6月17日(5月22日)に和親条約の細則を定めた下田条約(全13か条)を締結した。

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2019年11月26日

天保の改革−今日のゴロ合わせ俳句年表

1841年、老中水野忠邦が天保の改革をはじめる。株仲間の解散、人返し令、上知令。

【暗記用俳句】 ♪天保の 改革初めは(18−) よい(41)テンポ
天保の改革 2コ漫画

天保の改革(てんぽうのかいかく)は、江戸時代の天保年間(1830年 - 1843年)に行なわれた改革で、享保の改革、寛政の改革に並び、江戸時代の三大改革の1つに数えられる。貨幣経済の発達に伴って逼迫(ひっぱく)した幕府財政の再興を目的とした。また、この時期には諸藩でも藩政改革(はんせいかいかく)が行なわれた。

天保年間には、全国的な凶作による米価・物価高騰や天保の大飢饉、百姓一揆や都市への下層民流入による打ち壊しが起こっており、天保7年(1836年)には甲斐国における天保騒動や三河加茂一揆、翌天保8年には大坂での大塩平八郎の乱などの国内事情に加え、阿片戦争やモリソン号事件など対外的事件も含め、幕政を揺るがす事件が発生していた。

天保12年(1841年)に大御所家斉が薨去し、水野忠邦は林・水野忠篤(みずのただあつ)・美濃部ら西丸派や大奥に対する粛清(しゅくせい)を行なって人材を刷新(さっしん)し、農本思想基本とした天保の改革が開始される。同年5月15日に将軍徳川家慶は享保・寛政の改革の趣意に基づく幕政改革の上意を伝え、水野は幕府各所に綱紀粛正(こうきしゅくせい)と奢侈禁止(しゃたきんし)を命じた。この改革は、江戸町奉行の遠山景元(とおやまかげもと)・矢部定謙(やべさだのり)を通じて江戸市中にも布告され、華美(かび)な祭礼や贅沢(ぜいたく)・奢侈はことごとく禁止された。

この改革が行なわれた頃は、既に幕府の権威が低下してきていたことに加えて、財政のみならず行政面などの問題点が多かったため、大奥の改革への妨害があり、結果的に改革が煩雑となってしまい、社会を混乱に導き、失敗と判断された。さらに、水野失脚後に株仲間が再興されたことで、幕府の権力が商業資本の前に自己の政策を貫徹(かんてつ)できなかったという、幕藩体制にとっては悪しき先例を残す結果となった。

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2019年11月25日

遣唐使の停止−今日のゴロ合わせ俳句年表

894年、菅原道真の意見により遣唐使を停止する。

【暗記用俳句】 ♪検討し 白紙(894)に戻す 遣唐使

遣唐使の停止 2コマ漫画 width=

遣唐使は、630年から894年の約250年の間に19回任命され、そのうち15回実施された。そして、遣唐使がもたらした情報は、奈良時代から平安時代の初期に、日本の政治・社会・文化に対する大きな刺激となった。その間、日本は漢文化を受容(じゅよう)して貴族文化を形成したが、9世紀後半になると、黄巣の乱が起きて唐は衰退、日本の律令政府(りつりょうせいふ)にとっても遣唐使を派遣することが負担となってきた。
そこで、宇多天皇のときに、遣唐使に任命された菅原道真が遣唐使の停止を進言し、その結果、894年をもって停止されることとなった。

実は、894年に遣唐使は停止されていない?

実は、894年に何故遣唐使が停止されたのか、そのはっきりした理由は良く分かっていない。それどころか、学校で習う(このページでも取り上げている)「894年 遣唐使停止」というのも、厳密には違う可能性がある。

984年、日本では遣唐使の派遣を計画していて、確かにその計画は中止された。そして、その時の代表者が菅原道真(すがわらのみちざね)であり、中止を提案したのも菅原道真である。ここまでは確かだが、中止後も菅原道真の大使としての任は解かれなかった。ということは、中止は一時的なもので、894年時点では遣唐使自体は停止にまで至っていなかった可能性がある。

大使であった菅原道真は、901年に藤原時平(ふじわらのときひら)との政争(せいそう)に敗れ、大宰府(だざいふ)へ左遷(させん)されるが、同時に遣唐使の大使という任も自然消滅してしまう。そして、その後大使として任命される人物も登場せず、遣唐使の派遣計画も自然消滅してしまった。
つまり、「遣唐使は停止する!」と誰かがきっぱりと決めたわけではなく、自然と派遣計画が消滅していったため、何故停止されたのか、いつ停止されたのか、明確に分かっていないのである。

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2019年11月23日

勘合(日明)貿易−今日のゴロ合わせ俳句年表

1404年、明と勘合貿易をはじめる。勘合符を持った船だけが許される合法的日明貿易。

【暗記用俳句】 ♪看護する 人シマシ(1404)マの シャツを着せ

勘合(日明)貿易 2コマ漫画

勘合貿易(かんごうぼうえき)は、室町時代に日本が中国の明朝と行なった貿易。特に、室町幕府や大内氏との朝貢貿易は、倭寇(わこう)や密貿易と区別して正式な遣明使船であることが確認できるように勘合(勘合符)を使用したことからその名がある。日明貿易(にちみんぼうえき)ともいう。

室町幕府3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)は、博多商人肥富(こいとみ)より対明貿易が莫大な利益を生むことを聞いていた。義満は1401年(応永8年)に、肥富と僧祖阿(そあ)を明へ遣明使として派遣し、彼らは翌年に明の国書を持ち帰国する。明使の在日中に靖難の変(せいなんのへん)で永楽帝(えいらくてい)が即位すると、明は再び国書を送り、日本と明の間に国交と通商の合意が成立した。

勘合貿易は、1401年(応永8年)から1549年(天文18年)まで、19回にわたって行なわれ、この貿易で使用する勘合には「日字勘合」と「本字勘合」の2種類が存在した。また、制限貿易で日本→明は「本字勘合」、明→日本は「日字勘合」が使用された。

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2019年11月22日

平安京遷都−今日のゴロ合わせ俳句年表

794年、桓武天皇が都を平安京に移す。

【暗記用俳句】 ♪平安京 うぐいす鳴く世(794) 平和な世

平安京遷都 2コマ漫画

平安京(へいあんきょう、たいらのみやこ)は、かつて日本の首都だった都市である。

桓武天皇(かんむてんのう)によって、長岡京からの遷都地に選ばれ、唐の首都長安城にならって計画都市として山城国に建設された。そして、この場所に平安時代から明治時代初めまで、歴代の皇の皇居が置かれた。平安京は、現在の京都府京都市・京都市街であり、当時の街路は今もほぼそのまま残っている。

平安京は、関東地方を基盤とする鎌倉幕府や江戸幕府の成立によって、行政府としての機能を次第に失っていった。特に、室町時代から戦国時代にかけての時期は、応仁の乱にて市街地の過半を焼失して衰退した。その後、平安京の市街地は、上京と下京に分かれて小規模なものとなっていき、これが再び一体の市街として復興に向かうのは安土桃山時代であり、織田信長の上洛後のこととなる。

何故、平城京から平安京へ遷都された?

首都が、何故平城京から平安京へ遷都されたのかという理由については、仏教勢力が強く政治と結びつくようになっていた平城京から逃れるためという説と、奈良の都が政治的理由で暗殺された人たちの怨霊(おんりょう)で溢(あふ)れてしまったためという2つの説がある。現在は、後者が有力となっている。

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2019年11月21日

応仁の乱−今日のゴロ合わせ俳句年表

1467年、応仁の乱が起こる。

【暗記用俳句】 ♪応仁の 乱で京焼け 人世(ひとよ)虚(1467)し

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応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の1467年(応仁元年)に起こり、1478年(文明9年)までの約11年間にわたって続いた内乱。室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元(ほそかわかつもと)と山名宗全(やまなそうぜん)の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)の継嗣争い(けいしあらそい)も加わり、ほぼ全国に争いが拡大した。

明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因とされる。応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦(いくさ)が続いたことから、応仁は僅か3年で文明へと改元された。

この10数年にわたる戦は、和睦(わぼく)の結果、西軍が解体されて収束したが、主要な戦場となった京都全域は、壊滅的(かいめつてき)な被害を受けて荒廃(こうはい)した。

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2019年11月20日

日中戦争−今日のゴロ合わせ俳句年表

1937年、盧溝橋(ろこうきょう)事件が発生し、日中戦争となった。

【暗記用俳句】 ♪日中戦 行く皆(1937)ドームで 熱中戦

日中戦争 2コマ漫画

日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで、大日本帝国と中華民国の間で行なわれた戦争である。当時の近衛内閣は、この戦争の呼び名を「支那事変(しなじへん)」と閣議決定した。戦争ではなく「事変」としたのは、盧溝橋事件後の本格的な戦闘が行なわれても、1941年12月に太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)するまで、両国は宣戦布告をおこなわなかったためである。

1937年(昭和12年)7月7日、当時北支に駐屯(ちゅうとん)していた日本軍の夜間演習中に実弾が2度発射され、日本軍と中国国民党軍が衝突し、盧溝橋事件が勃発した。7月8日、蒋介石(しょうかいせき)は日記に「倭冦の挑発に対して応戦すべき」と書き、7月9日に動員令を出し、四個師団と戦闘機を華北へ派遣した。7月19日までに北支周辺に30個師団、総兵力20万人を配備した。 7月11日、日中の現地軍どうしで停戦協定が締結され、中華民国側は遺憾の意思を表明し、責任者を処分すること、盧溝橋付近には中国軍にかわって保安隊が駐留すること、事件は藍衣社、中国共産党など抗日団体が指導したとみられるため今後取り締るという内容の停戦協定が締結された。

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2019年11月19日

鉄砲伝来−今日のゴロ合わせ俳句年表

1543年、鉄砲が伝来する。ポルトガル人が種子島に漂着し伝える。

【暗記用俳句】 ♪まいどあり 銃ご予算(1543)で 選べやす

鉄砲伝来 2コマ漫画

1543年(天文12年)9月23日、種子島に一艘の船が漂着した。100人余りの乗客の、誰とも言葉が通じなかったが、西村時貫(にしむらてんしゅう)はこの船に乗っていた明(みん)の儒者(じゅしゃ)・五峯と筆談し、ある程度の事情分かったので、この船を島主・種子島時堯(たねがしまときたか)の居城がある赤尾木(あかおぎ)まで曳航(えいこう)するように取り計らった。

その後、時堯が改めて筆談を行ない、この船に異国の商人の代表者が2人いて、それぞれ牟良叔舎(フランシスコ)、喜利志多佗孟太(キリシタ・ダ・モッタ)という名であることが分かった。時堯は、この2人から二火縄銃(ひなわじゅう)2挺を買い求め、家臣の篠川小四郎に火薬の調合を学ばせた。

時堯が射撃の技術に習熟したころ、紀伊国根来寺の杉坊某(すぎのぼう)もこの銃を求めたので、津田監物(つだけんもつ)に1挺持たせて送り出した。さらに、残った1挺を複製すべく、金兵衛尉清定ら刀鍛冶(かたなかじ)を集め、新たに数10挺を作った。また、堺からは橘屋又三郎(たちばなやまたさぶろう)が銃の技術を得るために種子島へやってきて、1、2年でほとんどを学び取った。

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2019年11月18日

米騒動−今日のゴロ合わせ俳句年表

1918年、米の値段が急騰(きょうとう)し、各地で米騒動(こめそうどう)が起こる。

【暗記用俳句】 ♪米騒動 人食い破(1918)格に 皆激怒

米騒動 2コマ漫画

米騒動が起こる原因としては、凶作による米不足が直接的な要因になることが多い。米騒動は江戸時代の享保の大飢饉の頃から幾度となく発生している。

戦前には、1890年(明治23年)、1897年(明治30年)、1918年(大正7年)に3回起こっており、特に、1918年(大正7年)の米騒動は大戦景気の最中とあって最大規模のものとなった。そのため、単に「米騒動」といえば、1918年(大正7年)の事件のことを指す。

戦後にも、1993年(平成5年)に冷夏による米騒動が起こっている。

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