1756年、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、ザルツブルグの宮廷のバイオリン奏者の子として生まれる。
【暗記用俳句】 ♪いい!和む(1756) モーツァルトの メヌエット
ザルツブルクは、オーストリアの中でもっとも早くローマ文化とキリスト教の洗礼を受けた街で、“北のローマ”とも称された。ザルツブルクSalzburgつまり“塩の城”を意味し、その名の通り、特産物である岩塩の取り引きなどで栄えた。
モーツァルの時代のザルツブルクは、オーストリア帝国の諸領土とバイエルン公国に取り囲まれていて、マインツ、トリアー、ケルンなどと並ぶ大司教領であった。当時のザルツブルクでは宮廷音楽が盛んで、ヨーロッパ各地から優れた音楽家たちが多数集まってきていた。当時、およそ16,000人(1771年)の人口をかかえていたが、31,000人のミュンヘン(1771年バイエルン選帝侯首都)や193,000 人(1772年)のヴィーンと比べると、そう小さな町であったとはいえない、すぐれた文化都市であった。
